卒業生の声

[2023年6月卒業]

今回最後の発表会で卒業証書をいただけた事、嬉しかったです。実際に教わった技術を自分で応用できているかの判断はまだ出来ませんが、外から見える形で変化がついたと思っても良いのかなと思う事はできました。

一方でまだ実感が湧かないところもあります。元々スタジオCANは私が無職の時に母から紹介されたのがきっかけでした。先生によく言われていた無理やりやらされている感があるというのは、それが抜けなかったせいかもしれません。途中まできちんと出席していなかった時期もあり、本当に自分が証書をもらってもいいのかという気持ちがあります。
それでも最初にスタジオに来た時と比べて、自分の見え方は変わりました。趣味の活動や母の手伝いで人前に立つ時に、外から観たらどうなってるかという事を考えるようになれました。

今後自分が生きていく時、スタジオでずっと言われていたように自分に足らないところがある事を恥じずに楽しんで取り入れていきたいです。
今まで本当にありがとうございました。(0027)

[2023年3月卒業]

長い期間にわたって粘り強くご指導いただいたことに心から感謝申し上げます。
私がほかの劇団に30年近く所属して活動している間に、演技に“悪い癖”が身についてしまっていることを指摘していただき、その癖を取るために様々なことを教えていただく中で、私の認識も少しずつ変わっていきました。でも何よりも、年齢も高くなって、なかなか役に恵まれない私が、芝居の楽しさ、芝居の感覚を保ち続けることができたことはある意味奇跡で、それはひとえにレッスンと、一緒に頑張る仲間がいたおかげだと感謝しております。

指導の根底には、「何のために芝居をするのか」という確固としたゆるぎない信念があって、人間の成長を信じ、絶対あきらめずに芝居を追求することへの熱い情熱が感じられ、私には大変勉強になると同時にとても励まされました。
反省会で「芝居への情熱は絶対変わらない。今後は自分が本当にやりたいと思うことにかかわっていく」という言葉を聞いて納得しました。
ただ、私自身は3月にやっと卒業でき、発表会で何となく掴みかけた「空間をとらえた演技」をしっかり身に着けたいと思っていた矢先だったので、正直残念な気持ちです。これからはなかなか難しいことではありますが、教えていただいたことを実践に生かしながら自己鍛錬していくしかないのでしょう。

空間をとらえること、話法、身体の使い方、動き方、意識の持ち方など演技の最も基本であり重要なことをたくさん教えていただきました。まだどれもできてはいませんが、何が正しいかは教えていただいたので、その正しいあり方に少しでも近づけることを目指して頑張っていきたいと思います。
将来、先生と演劇の世界で何かをご一緒できる日が来ることを心から祈念しております。(0026)

 

[2020年3月卒業]

CANに入って約4年半、卒業証書をいただくことができました。まさか今回自分が呼ばれると本当に思ってなかったので、先生に名前を呼ばれた時は、驚きでいっぱいでした。でも、だんだん実感が湧いてきて、卒業はひとつの目標としていたので、ここまで諦めず続けてきてよかったと強く思いました。

就職して仕事初めてから、なにもなく過ごしてきて、やってみたいと思ったのが演劇で、一緒に入った薄井さんが見つけてくれて、2人で体験にいって、その時の記憶が今でも鮮明に思い出せます。そこから、4年半という年月、演技の難しさや、楽しさをどんどん知っていって、自分の想像してたよりずっとずっと、大変だと思うこともたくさんありました。
でも、先生から演技を通して様々なことを教えて貰って、自分自身とても成長することが出来ました。本当にここを選んでよかったと今心から思えます。

まだまだ未熟で、演技についてまだまだ学ばないといけないことばかりですが、もっともっと成長していけるよう、今回もらった卒業証書に恥じないよう努力していこうと思います。(0025)

[2018年2月卒業]

スタジオに通い初めてから、卒業まで、10年近くかかってしまいました! 卒業する事が目的で通っているわけではないので、卒業しなくても良いか!と思い初めていたのですが、実際に卒業証書を貰うと嬉しい気持ちになりました。
通い初めた頃の事が走馬灯の様によみがえってきます。
私は演技の経験が高校の時の部活で少ししかやったことが無かったです。その時も私は演技が他の部員より下手でしたが、演じるのって何か凄く面白い!!と思ってやっていました。でもプロとしてやっていくのは難しいのかもしれない…。

入ってから、自分が演技を全く分かって無くて、舐めていた事に気がつきました。短期間通えば出来ると考えでいたのです。
習っているカリキュラムが演技とどう関係有るのか分からずにやっていました。上手くできなくて、自分が出来ない事だらけだと気がつき、厳しい現実にぶち当たり衝撃を受けましたが、続けていくうちに、人より時間がかかっても出来ない事が出来てくると楽しくなってきました。

何度も辞めようと思いましたが、続けて良かったと思いまます。続けて来れたのは単純に演じる事が好きだからです。演技はまだまだ下手だけど、人間的にあの頃より成長出来たと思います。卒業はしましたが、まだまだやりたい事があるので、これから演技の上手いまともな人間になりたいです!(0024)

[2018年2月卒業]

役者になりたい、そう思ってスタジオCANに入りました。
入った当初は、まず自分が思っていた演劇の世界とのギャップに戸惑いました。その時初めて自分が生半可な覚悟でこの世界に足を踏み入れてしまったことに気づき、しばらくそのギャップを埋められないでいました。やめたいと投げ出しそうになったこともあります。でもその時に「本当に精一杯やったの」という言葉で気づかされ、改めてまた頑張ろうと思いました。

五年経ち、卒業証書をもらった今、あの時やめなくてよかったと本当に思います。あの頃の自分からしたら、まさか自分が卒業証書をもらって、まだ役者をやっているなんて思ってもみなかった。今でも度々悩むことがありますがその度にあの言葉を思い出して今日の今日までやってきました。

はっきりいって自分はまたまだ一人前の役者には程遠いです。私は演技を形で捉えてしまいがちで、そこは卒業した今でも苦戦しているところです。演技は嘘をつくことじゃない、本当に生きることだという絶対的な教えをまだ身につけられないでいます。それを身につけられた時に初めて演劇の「本当の楽しさ」というものが分かるんだと思います。その時、やっとスタート地点に立てるんじゃないかということも。

あの頃より変わった部分も確実にあります。発声一つにしても、最初はあんなに声が出なかったのに、今はかなり出る様になった。正しい練習を繰り返し練習し続けることがどれほど大事で重要なことなのか改めて気づかされます。「継続は力なり」という言葉がありますが、CANにいるとその意味がとてもよくわかります。間違った自分のやり方でやり続けていても意味がなく、どれだけ言われたことを素直にやり続けるか、それが自分の今までの課題であり、これからの課題でもあります。

基礎は沢山教えてもらいました。それをどれだけ応用していけるかがこれからの自分の成長に繋がっていくはずです。基礎というと蔑ろにしてしまいがちですが、何かにつまづいた時こそCANで教えられた基礎を思い出して、これからもやっていこうと思います。(0023)

 

[2017年2月卒業]

卒業式で自分の名前が呼ばれたとき、びっくりして座っているのに飛び上がってしまった。自分が卒業できるとは思っていなかった。卒業証書を受け取ったときもまだ頭のなかは真っ白だった。卒業するときにはもっと淡々としていたいと思っていたのに、やっと落ち着いて答辞をしゃべりだしたら、無性に悔しくなって泣いてしまった。

あんまり、いい形での卒業ではなかったと思う。それまでのレッスンは酷いものだった。同じ事を繰り返し、同じダメが続き、やり方を変えろと言われ続けた。わたしに出されるダメのほとんどは、言われたことを正しくやってこないことが原因だった。入所したときからもうずっと言われていることだった。たまたま発表会前の最後のレッスンを前にして、やっと言われたことをやってきてコツをつかみ、たまたま卒業してしまったのだった。

卒業するまでに長い年月がかかってしまった。それは不器用だとかそういうことなんかより、なにかを必死でつかもうとする執念とそれを為すための努力が足りなかった、というか、なかったからだと思う。やめるよりゆっくりでも続けた方がましである、なんて私は決して言えない。ほかの同期やあとから入った人たちもみんな私よりもはるかに早いスピードでカリキュラムをこなし、さっさと卒業してしまった。それは当たり前だけど、その人たちがみんな、私より必死になってレッスンを受けて、練習して、たくさんの工夫をしてきたからで、なのに、その事実を私はずっと認められなかった。本当に情けない。そういう弱い自分を見つめていれば、もっと早く、もっと納得できる卒業ができたのかもしれない。

そんな訳で、卒業はできたとはいえ素直に綴っていたら、あんまりキラキラしていない、ネガティブな卒業文になってしまいました。私はまだ、スタート地点にも立っていなくて、やっとスタート地点の場所がわかったというところにいます。それもまだ確実に手にした訳でもなく、きちんと自分のものにしていかなくてはならない。長くレッスンに通っていたのにこんなにも身に付いていないのは恥ずかしいです。でも、遠回りした分、まっすぐ、誠実でありたいです。(0022)

[2016年2月卒業]

2011年6月。CANのスタジオの扉を初めて開けた日。その日からもう4年半が経ちました。光のように過ぎ去っていった気がします。

当初はまさか自分が卒業証書をいただくことなんてないと思っていました。毎年先生が笑顔で卒業生に渡していたのを見て、自分もいつかきっとなんて思うようになったのはいつの頃でしょうか。しかし実際手にすると、名誉なものを貰えた嬉しさ、そのレベルに達していないと感じる悔しさ、目標がひとつ消える寂しさなど様々な感情が入り混じり、複雑な気持ちになりました。

初めのころは演技のエの字も知らないまま勢いで入学してしまった私は、大変な苦労をしました。臆病で、声が小さくて、自分に自信のない私が、演技をすることによって少しずつでも変わってきたような気がします。

自分の今まで生きてきた世界では知り得ない物事や人物と触れることが、いかに楽しいかを知りました。自分の中に存在していた色んな感情や感覚を知りました。お芝居という世界を作り上げる、その楽しさを知りました。

それを教えてくれた先生に今、とても感謝しています。

先生の言葉はまるで魔法のようでした。

何度やっても出来なくて絶対にできないと思っていたことでも、先生ができないはずはないとおっしゃるだけで、その言葉を信じて諦めずにやろうと思うだけで不思議と出来てしまいました。

どんなにダメでも、それでも何とかしたいという気持ちでいれば、先生は決して諦めないし見捨てない。その確信があったからこそ、今まで頑張れました。先生からビシバシ感じる嘘いつわりのない芝居への情熱は、私のお尻を叩いてここまで連れてきてくれました。

私はアマチュアですが、演技をすることが単純に、とても楽しいです。

卒業証書をもらいましたが、今になってやっと「客に観せるためにお芝居をする」という感覚が分かり始めた気がしています。

どこまでいけるかは分かりませんが、もっともっとお芝居の楽しさ、奥深さを知るために、突き進めるだけ突き進んでいこうと思います。

永遠に続く巨大な階段を、一段一段よじ登る気持ちで。(0021)

yotumoto

[2015年3月卒業]
今年度卒業証書をいただいた。
昨年度までに卒業された皆さんに申し訳ない気持でいっぱいだ。なぜなら私が卒業証書の価値を大幅に下げてしまったと思うから。今思っていることは、これから少しでも進歩して、いい演技ができるようにし、皆さんをがっかりさせないようにしたい、ということ。
もちろんこれからもレッスンを続けるのは、先輩方のためというわけではない。自分自身のためだ。演技の世界は豊かで奥が深く、魅力的だから。

子どもの頃演劇にあこがれていた私は、社会人になり、その思いを封じ込めてきた。しかし時にその思いが頭をもたげた。そういう時は、「演劇は架空の世界だ。私は現実の世界で活動しているのだ。」と自分をなだめすかした。でも退職したら演劇をしよう、と夢を描きもした。
そして早めに退職した私はこのスタジオCANの門を叩き、アマチュアコースに入った。演じるのは簡単なことと思っていた私は、それがとんでもないことだとすぐ気づくことになる。
最初の体験レッスンから、「難しい!」と思った。体操でつまずくし、発声のカリキュラムでは他の生徒さんと比べものにならないほど時間がかかってしまった。でも辞めたいとは思わなかった。その一番の理由は、先生が決して諦めず、導き続けてくださること。

私は昔、「演劇は架空の世界」と思った。今も一面から見ればそうだと思う。しかし「演技」に関して言えば、本当のことしかやってはいけないのだ。そのこと をスタジオCANで学んだ。観る人には、本当のことをしているかどうか伝わってしまう。嘘は見抜かれるのだと実感を持って理解する。理解しながらも、本当 のことが私にはなかなか出来ない。私に染みついた「演技=それらしく振る舞う」というイメージが洗い落とせないのだ。しかし、「本当の演技」に向かう道が 見えることがある。ある時は先生の温かいひとことの後で、ある時は先生の恐ろしい(?)ダメ出しの連続の後で。そしてスタジオで道が見える時もあれば、帰 りの電車の中で突然目の前に道が開けることもある。鈍い私の感覚がやっと働き始める、その時……楽しい。
先生の示す人間観には感動するときもあれば、正直言って「こわい!」と思うこともある。よくよく考えると、人間のいろいろな側面、受け入れ難い側面も受け 入れていくのが演劇人の精神なのだ、と腑に落ちる。そしてアマチュアコースの私達にも演劇人としての矜持を披瀝していただくことに、言い様のない感動を覚 える。
教材となる作品やその登場人物の捉え方の深さにも感動する。先生の捉え方を知ると、自分の捉え方の底の浅さに愕然とする。だから……学び続けたい。

そろそろこの文章を閉じたいのだが、そもそも卒業感想文とは何について書くのが正解なのだろうか。
「ここまで書いておきながらそれはないでしょ。」と自分に突っ込まなくてはいけないところだが、「そうだね。」と自分に言ってあげたい気もする。なぜなら最初に書いたように、「私は卒業証書をいただくにはふさわしくない。」と自覚しているからだ。
しかし先生は「卒業証書は敢闘賞のようなもの。」とおっしゃってくださったので、先生が私の頑張りを認めてくださったと喜ぶことにしようとは思っている。 確かに私は出来なくても諦めなかったし、今も諦めない。少しは出来ることも増えてきた。 でも賞をあげるなら私は先生に差しあげたい。先生は、遅々とした歩みの私を見放さないで指導してくださっていらっしゃる。時間の長さだけではない。先生の 指導の一瞬一瞬は、気を抜かない、感覚を研ぎ澄ましての、一瞬一瞬だ。珠玉の時間をくださる先生に、感謝の気持ちでいっぱい。

「卒業感想文として書くべきことが分からない。」と書いたが、卒業証書をいただいたことに対しての身が引き締まる思いがどんどん成長してきていることに、今、気がついた。その思いの中にある決意のいくつかを最後に記す。
○ 先生が言い続けてくださる「体操が一番大切。」を大切にしよう。ここにはたくさん の宝物が隠れているはずだから。
○ 身についたと思っても油断せず練習し続けよう。練習しなければいつかできなくなっ ているということがあるのだから。
○ 身についたことも、正しく身についているか、見直してみよう。自分の都合のいいよ うに変えてしまうのが人間の特性だから。
○ 理解してもしなくても先生のダメ出しを受け止め、勇気を出してやってみよう。自分 の理解の範囲の外に、自分の知らない自分が見つかるのだから。

卒業証書は私をもう一度原点に戻らせてくれた。先生ありがとうございます。

付け足し
スタジオCANの皆さんは、先生を含めて私より若い方達ばかり。若い人大好きだけ れど、私ぐらいの年齢の人も入ってこないかなあ。先生は高齢の(?)私にもちゃんと厳しくしてくれる。私はそこが大のお気に入り!厳しく温かい指導のも と、進歩し続けようという「気持の若い」方、待ってます!(0020)

 

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[2014年3月卒業]
スタジオCANにお世話になるようになって早6年。
卒業を迎えて改めて振り返ってみると,あっという間に過ぎたように感じます。
入学したての頃は,発生が思うようにできず,同じクラスの先輩のように出来るようになりたい・・と早起きして練習していたのですが,誤った練習をしたこともあり,ノドを枯らしてしまうことも。カリキュラムが進んでいくと,会話劇や朗読劇に取り組めるようになり,初見で読んだ面白さをいざ自分で表現してみようとすると,気持ちばかりが先行して空回りばかり。レッスンの帰り道で自分のレッスンを振り返っていると,あまりにも出来なさ過ぎて呆れてしまう程でした。

それでも,次回は今回よりは出来るようになりたいと気持ちだけ?は持って練習してきたつもりですが,自分では進歩があったのか無かったのか半信半疑のまま卒業を迎えたように感じます。
人前で演技をして伝えることの面白さと,それ以上に観ている人に伝えることの難しさを勉強させていただいと思います。

卒業は迎えましたが,まだまだ出来ないことがたくさんありますので,これからも演技の勉強をし続けていきたいと思います。(0018)

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[2013年2月卒業]
ある程度カリキュラムが進んで、発表会にでて卒業と言われても、なかなか自分ではピンとは来ないものでした。

だけどこうやって卒業という区切りで振り返ってみると前は出来ていなかったことが出来るようになっていたり、体の使い方、重心、体幹、見え方、話し方、の意識が無意識でするようになったりしているのがわかる。

基礎ってのは身に付けるまでが大変。そういう意味では卒業とはここでの基礎が染み付いてきた証なんだなって思う。

変な話、正直言えば自分次第でもっと早く卒業できていたのだろうなとも思える。

結局自分が反復をして身につけて次のカリキュラム、反復して身につけて次のカリキュラムという当たり前の努力を単純にしていれば良かった。

もし、この卒業生の言葉を見る機会がある人がいたらこれだけは言える。
「正しい努力だけをすればいい」

言われたことある人も無い人もピンとは来ないだろうけど、本当にそう。
振り返ればこんな簡単で単純で正しいことだった。って思う。

どんなカリキュラム、朗読劇、会話劇でも、どこかに自分のやり方や考え方は混じってしまうと思う。
そっちを主体にしないで欲しい。
習いに来てるんだから教わった枠の中で自分のやり方や考え方が合ってるのか否か。
否ならやり方や考え方を捨てた方がいい。
その重りが先に進めなくしてるから。

だから「とりあえずやってみる」

これは凄く自分を先に進めてくれた考えだと思う。ダメを出来ないから言われたことをとりあえずやってみる。
それだけで案外出来たりするもんよ。

この少人数クラスでちゃんと個人指導で学べる強さ。ちゃんとダメが出てそれを自分で切り開いて成長していく過程を楽しむ。ダメが自分を成長させてくれる栄養になってるということ。

振り返るとなんでもっとやってこなかったか。そんな事ばかり思う。
だからこそ次に振り返ったときにそう思わないように努力をしていくんだと思える。
卒業という通過点を経てそう思う。
頑張ろう、と。(0017)

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