Category: 卒業生の声

 

私がスタジオCANに入った理由は、役者の仕事とはどんなものか気になったことがきっかけです。数年前に役者の仕事に興味を持ち、やってみたいと思っていました。しかし、無責任にその道に進むことには抵抗がありました。そんな中、あるとき見に行った舞台でもらった広告でスタジオCANのことを知りました。広告を見て、ここで踏み出さなければ何も変わらないと思い、入会を決意しました。

レッスンでは、演技をするために必要な声の出し方やアクセントなど、日頃意識していないことを身につけることに悪戦苦闘しています。それができなかったときは頭を悩ませることもありますが、できたときやコツをつかんだときはうれしい気持ちになります。これまでレッスンを受けてきて、演技にはテレビや映画、舞台を見るだけでは分からない複雑さがあると感じました。特に舞台では、限られた空間や道具を用いてそこにないものをあるように見せたり、観客からステージ上の登場人物が隠れないように動いたり、意識しなければいけないが台詞や動きを準備してはいけないなど、かなり複雑なことをしているなと思いました。

私は今後このレッスンを通して、演技ができるようになること、演技の魅力を知ることはもちろんですが、努力する人になるという目標があります。私は過去に努力をしなかったことで何度も後悔してきました。役者の仕事に限らず、物事を成功させるためには努力することが必要であると感じています。これからスタジオCANでやっていくことは、役作りにはいろいろな経験が大切であるように、将来どんな道に進んでも必ず役に立つと思うので、1回1回のレッスンから私生活まで日々努力することを怠らずに頑張っていきます。

出身地 : 茨城県
趣味 : ドラマ鑑賞
身長 : 167cm
特徴 : 気分屋

[2017年2月卒業]

卒業式で自分の名前が呼ばれたとき、びっくりして座っているのに飛び上がってしまった。自分が卒業できるとは思っていなかった。卒業証書を受け取ったときもまだ頭のなかは真っ白だった。卒業するときにはもっと淡々としていたいと思っていたのに、やっと落ち着いて答辞をしゃべりだしたら、無性に悔しくなって泣いてしまった。

あんまり、いい形での卒業ではなかったと思う。それまでのレッスンは酷いものだった。同じ事を繰り返し、同じダメが続き、やり方を変えろと言われ続けた。わたしに出されるダメのほとんどは、言われたことを正しくやってこないことが原因だった。入所したときからもうずっと言われていることだった。たまたま発表会前の最後のレッスンを前にして、やっと言われたことをやってきてコツをつかみ、たまたま卒業してしまったのだった。

卒業するまでに長い年月がかかってしまった。それは不器用だとかそういうことなんかより、なにかを必死でつかもうとする執念とそれを為すための努力が足りなかった、というか、なかったからだと思う。やめるよりゆっくりでも続けた方がましである、なんて私は決して言えない。ほかの同期やあとから入った人たちもみんな私よりもはるかに早いスピードでカリキュラムをこなし、さっさと卒業してしまった。それは当たり前だけど、その人たちがみんな、私より必死になってレッスンを受けて、練習して、たくさんの工夫をしてきたからで、なのに、その事実を私はずっと認められなかった。本当に情けない。そういう弱い自分を見つめていれば、もっと早く、もっと納得できる卒業ができたのかもしれない。

そんな訳で、卒業はできたとはいえ素直に綴っていたら、あんまりキラキラしていない、ネガティブな卒業文になってしまいました。私はまだ、スタート地点にも立っていなくて、やっとスタート地点の場所がわかったというところにいます。それもまだ確実に手にした訳でもなく、きちんと自分のものにしていかなくてはならない。長くレッスンに通っていたのにこんなにも身に付いていないのは恥ずかしいです。でも、遠回りした分、まっすぐ、誠実でありたいです。(0022)

[2016年2月卒業]

2011年6月。CANのスタジオの扉を初めて開けた日。その日からもう4年半が経ちました。光のように過ぎ去っていった気がします。

当初はまさか自分が卒業証書をいただくことなんてないと思っていました。毎年先生が笑顔で卒業生に渡していたのを見て、自分もいつかきっとなんて思うようになったのはいつの頃でしょうか。しかし実際手にすると、名誉なものを貰えた嬉しさ、そのレベルに達していないと感じる悔しさ、目標がひとつ消える寂しさなど様々な感情が入り混じり、複雑な気持ちになりました。

初めのころは演技のエの字も知らないまま勢いで入学してしまった私は、大変な苦労をしました。臆病で、声が小さくて、自分に自信のない私が、演技をすることによって少しずつでも変わってきたような気がします。

自分の今まで生きてきた世界では知り得ない物事や人物と触れることが、いかに楽しいかを知りました。自分の中に存在していた色んな感情や感覚を知りました。お芝居という世界を作り上げる、その楽しさを知りました。

それを教えてくれた先生に今、とても感謝しています。

先生の言葉はまるで魔法のようでした。

何度やっても出来なくて絶対にできないと思っていたことでも、先生ができないはずはないとおっしゃるだけで、その言葉を信じて諦めずにやろうと思うだけで不思議と出来てしまいました。

どんなにダメでも、それでも何とかしたいという気持ちでいれば、先生は決して諦めないし見捨てない。その確信があったからこそ、今まで頑張れました。先生からビシバシ感じる嘘いつわりのない芝居への情熱は、私のお尻を叩いてここまで連れてきてくれました。

私はアマチュアですが、演技をすることが単純に、とても楽しいです。

卒業証書をもらいましたが、今になってやっと「客に観せるためにお芝居をする」という感覚が分かり始めた気がしています。

どこまでいけるかは分かりませんが、もっともっとお芝居の楽しさ、奥深さを知るために、突き進めるだけ突き進んでいこうと思います。

永遠に続く巨大な階段を、一段一段よじ登る気持ちで。(0021)

yotumoto

[2015年3月卒業]
今年度卒業証書をいただいた。
昨年度までに卒業された皆さんに申し訳ない気持でいっぱいだ。なぜなら私が卒業証書の価値を大幅に下げてしまったと思うから。今思っていることは、これから少しでも進歩して、いい演技ができるようにし、皆さんをがっかりさせないようにしたい、ということ。
もちろんこれからもレッスンを続けるのは、先輩方のためというわけではない。自分自身のためだ。演技の世界は豊かで奥が深く、魅力的だから。

子どもの頃演劇にあこがれていた私は、社会人になり、その思いを封じ込めてきた。しかし時にその思いが頭をもたげた。そういう時は、「演劇は架空の世界だ。私は現実の世界で活動しているのだ。」と自分をなだめすかした。でも退職したら演劇をしよう、と夢を描きもした。
そして早めに退職した私はこのスタジオCANの門を叩き、アマチュアコースに入った。演じるのは簡単なことと思っていた私は、それがとんでもないことだとすぐ気づくことになる。
最初の体験レッスンから、「難しい!」と思った。体操でつまずくし、発声のカリキュラムでは他の生徒さんと比べものにならないほど時間がかかってしまった。でも辞めたいとは思わなかった。その一番の理由は、先生が決して諦めず、導き続けてくださること。

私は昔、「演劇は架空の世界」と思った。今も一面から見ればそうだと思う。しかし「演技」に関して言えば、本当のことしかやってはいけないのだ。そのこと をスタジオCANで学んだ。観る人には、本当のことをしているかどうか伝わってしまう。嘘は見抜かれるのだと実感を持って理解する。理解しながらも、本当 のことが私にはなかなか出来ない。私に染みついた「演技=それらしく振る舞う」というイメージが洗い落とせないのだ。しかし、「本当の演技」に向かう道が 見えることがある。ある時は先生の温かいひとことの後で、ある時は先生の恐ろしい(?)ダメ出しの連続の後で。そしてスタジオで道が見える時もあれば、帰 りの電車の中で突然目の前に道が開けることもある。鈍い私の感覚がやっと働き始める、その時……楽しい。
先生の示す人間観には感動するときもあれば、正直言って「こわい!」と思うこともある。よくよく考えると、人間のいろいろな側面、受け入れ難い側面も受け 入れていくのが演劇人の精神なのだ、と腑に落ちる。そしてアマチュアコースの私達にも演劇人としての矜持を披瀝していただくことに、言い様のない感動を覚 える。
教材となる作品やその登場人物の捉え方の深さにも感動する。先生の捉え方を知ると、自分の捉え方の底の浅さに愕然とする。だから……学び続けたい。

そろそろこの文章を閉じたいのだが、そもそも卒業感想文とは何について書くのが正解なのだろうか。
「ここまで書いておきながらそれはないでしょ。」と自分に突っ込まなくてはいけないところだが、「そうだね。」と自分に言ってあげたい気もする。なぜなら最初に書いたように、「私は卒業証書をいただくにはふさわしくない。」と自覚しているからだ。
しかし先生は「卒業証書は敢闘賞のようなもの。」とおっしゃってくださったので、先生が私の頑張りを認めてくださったと喜ぶことにしようとは思っている。 確かに私は出来なくても諦めなかったし、今も諦めない。少しは出来ることも増えてきた。 でも賞をあげるなら私は先生に差しあげたい。先生は、遅々とした歩みの私を見放さないで指導してくださっていらっしゃる。時間の長さだけではない。先生の 指導の一瞬一瞬は、気を抜かない、感覚を研ぎ澄ましての、一瞬一瞬だ。珠玉の時間をくださる先生に、感謝の気持ちでいっぱい。

「卒業感想文として書くべきことが分からない。」と書いたが、卒業証書をいただいたことに対しての身が引き締まる思いがどんどん成長してきていることに、今、気がついた。その思いの中にある決意のいくつかを最後に記す。
○ 先生が言い続けてくださる「体操が一番大切。」を大切にしよう。ここにはたくさん の宝物が隠れているはずだから。
○ 身についたと思っても油断せず練習し続けよう。練習しなければいつかできなくなっ ているということがあるのだから。
○ 身についたことも、正しく身についているか、見直してみよう。自分の都合のいいよ うに変えてしまうのが人間の特性だから。
○ 理解してもしなくても先生のダメ出しを受け止め、勇気を出してやってみよう。自分 の理解の範囲の外に、自分の知らない自分が見つかるのだから。

卒業証書は私をもう一度原点に戻らせてくれた。先生ありがとうございます。

付け足し
スタジオCANの皆さんは、先生を含めて私より若い方達ばかり。若い人大好きだけ れど、私ぐらいの年齢の人も入ってこないかなあ。先生は高齢の(?)私にもちゃんと厳しくしてくれる。私はそこが大のお気に入り!厳しく温かい指導のも と、進歩し続けようという「気持の若い」方、待ってます!(0020)

 

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[2014年3月卒業]
こんにちは!スタジオCAN創設以来、卒業までの最長記録保持者の渡邊です。
そして恐らく、この記録が破られる事はないかと……。
ネガティブレジェンドなので続く皆様は決して更新してはならないのです。よろしくお願いします。
そんな晴れの日を迎えた私に対し、卒業の送辞では『やっと。』『飯田橋の生き残り。』『いつ卒業するつもりなんだ?』など散々な言われようです。
CANの中でも『飯田橋』のキーワードの意味がわからない人達がほとんどのようです。
それだけの時間が流れたと言う事です。

そして卒業という、今日のこの日を迎えるまでには私自身、多くの紆余曲折がありました。
色々な事情があり『半年お休みをください。』と言いました。それでも『ちゃんと戻ってこいよ。』言って送り出してくれました。
結局、半年という約束はどうしても守れなかったものの、10ヶ月後に戻って来た時、
『ちゃんと戻って来たんだな。』と言いながら、少し笑顔だったような気がしています。
その他、本当に色々な事がありました。
でも不思議と辞めたいと思ったことはありませんでした。
そしてようやく卒業証書を授かる事が出来ました。

先生は日頃、CANの卒業に然程の意味はないとおっしゃっています。
私自身、卒業証書を受け取るために自分の手を伸ばしながらも、本当に卒業の意味を拝受するに自分は足りているのかと思いながら先生へと向き合いました。
そして気がついたのです。卒業する意味は有る!
卒業を許された者だけが見ることが出来る物が、受け取る事が出来る物がそこには有るのです。
“それ”を受け取った時、不覚にもこみ上げる物が抑えられなくなりそうでした。
それは物でも形に残る物でもありませんでした。でも、確かに確実にそこに有るものでした。
そうして本当の意味でのスタートラインに立つことが出来たのかもしれません。
このスタートラインに立ち、晴れがましく思う気持ち、喜ばしいと思う気持ち、少し恐いと思う気持ちもあります。しかしながら改めておごらずに粛々と受け止めて、襟を正して新たな一歩を踏み出したいと思っています。

先生、先達の皆様。同じ時を過ごす皆様。そして全ての皆様に心から感謝しています。ありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。(0019)

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[2014年3月卒業]
スタジオCANにお世話になるようになって早6年。
卒業を迎えて改めて振り返ってみると,あっという間に過ぎたように感じます。
入学したての頃は,発生が思うようにできず,同じクラスの先輩のように出来るようになりたい・・と早起きして練習していたのですが,誤った練習をしたこともあり,ノドを枯らしてしまうことも。カリキュラムが進んでいくと,会話劇や朗読劇に取り組めるようになり,初見で読んだ面白さをいざ自分で表現してみようとすると,気持ちばかりが先行して空回りばかり。レッスンの帰り道で自分のレッスンを振り返っていると,あまりにも出来なさ過ぎて呆れてしまう程でした。

それでも,次回は今回よりは出来るようになりたいと気持ちだけ?は持って練習してきたつもりですが,自分では進歩があったのか無かったのか半信半疑のまま卒業を迎えたように感じます。
人前で演技をして伝えることの面白さと,それ以上に観ている人に伝えることの難しさを勉強させていただいと思います。

卒業は迎えましたが,まだまだ出来ないことがたくさんありますので,これからも演技の勉強をし続けていきたいと思います。(0018)

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[2013年2月卒業]
ある程度カリキュラムが進んで、発表会にでて卒業と言われても、なかなか自分ではピンとは来ないものでした。

だけどこうやって卒業という区切りで振り返ってみると前は出来ていなかったことが出来るようになっていたり、体の使い方、重心、体幹、見え方、話し方、の意識が無意識でするようになったりしているのがわかる。

基礎ってのは身に付けるまでが大変。そういう意味では卒業とはここでの基礎が染み付いてきた証なんだなって思う。

変な話、正直言えば自分次第でもっと早く卒業できていたのだろうなとも思える。

結局自分が反復をして身につけて次のカリキュラム、反復して身につけて次のカリキュラムという当たり前の努力を単純にしていれば良かった。

もし、この卒業生の言葉を見る機会がある人がいたらこれだけは言える。
「正しい努力だけをすればいい」

言われたことある人も無い人もピンとは来ないだろうけど、本当にそう。
振り返ればこんな簡単で単純で正しいことだった。って思う。

どんなカリキュラム、朗読劇、会話劇でも、どこかに自分のやり方や考え方は混じってしまうと思う。
そっちを主体にしないで欲しい。
習いに来てるんだから教わった枠の中で自分のやり方や考え方が合ってるのか否か。
否ならやり方や考え方を捨てた方がいい。
その重りが先に進めなくしてるから。

だから「とりあえずやってみる」

これは凄く自分を先に進めてくれた考えだと思う。ダメを出来ないから言われたことをとりあえずやってみる。
それだけで案外出来たりするもんよ。

この少人数クラスでちゃんと個人指導で学べる強さ。ちゃんとダメが出てそれを自分で切り開いて成長していく過程を楽しむ。ダメが自分を成長させてくれる栄養になってるということ。

振り返るとなんでもっとやってこなかったか。そんな事ばかり思う。
だからこそ次に振り返ったときにそう思わないように努力をしていくんだと思える。
卒業という通過点を経てそう思う。
頑張ろう、と。(0017)

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[2011年2月卒業]
卒業、果てしもなく寂しくて、果てしもなく嬉しい矛盾な響き。この響きがこんなにも早く届いてくるとは夢にも思わなかったです。平成23年度をもって、私イムジェホンはスタジオCANを卒業いたしました。

4年前、大学入学と同時に入り、大学卒業と同時に卒業する事になったスタジオCANは、大学生活で最も大切な時間を与え続けてくれました。それは、気付きであったり、反省、練習、学びや夢など本当に多くのものです。最初入った時の志は日々大きくなるばかりでした。そして、卒業した今になっては夢に向かう道しるべとして存在し続けています。

実は、大学卒業とともに兵役関係などで帰国する事になり、しばらくスタジオを離れざるを得なくなりました。しばらくの間、日本を離れ、CANを離れる事がすごく寂しく感じます。こう思えるのも、毎回を真剣に取り組んだからこそなのかも知れません。

そしてなにより、スタジオCANの皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。基礎の基礎から演技や役者としての生き様を教えてくださった先生、時にライバルであり時に同じ道を歩む仲間としてともになったレッスン生・劇団の皆様など、感謝の言葉は絶えません。これからも演劇と言う媒体の上ずっとつながり続ければと思います。
本当の勝負はこれからだ.がんばります!!!ありがとう。(0014)
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[2010年2月卒業]
とにかく何かを掴みたくて始めたCANのレッスン。

CANでは、実に様々なことを教えていただきました。
体操から始まり、発声、滑舌、話法、対話劇まで・・・
芝居はもちろんですが、一番学んだ事は「役者とは」という精神論です。

レッスンは厳しいものでしたが、続けて良かったなと心から思います。
捨てるべきものをなかなか捨てられず、凝り固まった頭でしか物事を考えられない私に、根気よく付き合ってくれた先生には感謝しています。
正直まだ捨てきれてはいなかったりするのですが・・・

なので、卒業といわれてもピンと来なかったりもしています。
役者の修行に終わりはありません。
でも、やっとスタートラインに立てた気はしています。

CANで教わったのは基礎の大切さ。
どんな時もそれを根底において、これから進んでいきたいと思います。(0013)

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[2010年2月卒業]
全カリキュラムを修了して、卒業という事で、この文章を書くにあたって今までのレッスンを思い返してみました。

やはり一番大きいのは『基礎の重要さ』です。
発声、話法、体の使い方…etc
今までのレッスンもそうだし、これから先も役者として生きていく限り、この事は絶対意識しなければならないと思っています。
そして、自分自身の研究も怠らないように。
自分という人間はどう見えているのか、客観的に自分を観察する必要もあります。
どんな仕事であれ、舞台に立つという事は常に人(お客さん)に見られているという事です。
人に見られているという感覚の中で、物事を分かりやすく伝えなければならない。声の響き方、体のキレイな見せ方。
これらはすべて基礎的な事ですが。一番大事な事は、この基礎だと思います。
そこから派生してセリフなどかあるのだと思っています。

CANでは、徹底的に、しっかりした基礎指導が受けられました。
そして、役者というのは、どう生きていかなければならないのか。教えられました。
まだまだ未熟な僕ですが、レッスンを通して、未知の自分を発見する喜びをかみしめながら、成長していきたいと思います。(0012)

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